今回の金言 専門店で見てもらうと、目からうろこが落ちるのだ
前回(憂鬱の10_クラッチがスカスカ)の続きです。クラッチフルードの漏洩で、ねこきんぐは、ある決断をしました。
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ねこきんぐの憂鬱とは・・およそ30年前の、困ったイタ車に振り回されていた頃の体験談です。当時、憂鬱だった記憶を今回、忘備録として纏めてみました。皆、過去の話ですので、生暖かい目でみてやってくださいな。
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クラッチ故障は、フルードの補給で、なんとか使えるようになった。だけど、こんなのは一時しのぎであることは、ねこきんぐも判っていた。
また、どこからか少しずつ漏れ出すか、あるいは急にスコっと抜けてしまうかもしれない。再発するのは時間の問題だ。
修理するとしたら、こんな流れだろう。
クラッチフルードの漏洩個所を特定する。関係する部品を一式、どこからか調達する。で、交換する。
むーん。
さすがにこれは、ねこきんぐには、手に負えない修理だぞ。
ここに至って、ついにねこきんぐは一つの決断をした。
そう、アルファロメオの専門店とやらに車両を持ち込んで、今までの不具合も一式、見てもらうのだ。
この頃は、初期の細かいトラブルも放置されていて、そちらも手に余っていたのだ。
そうと決まれば、ねこきんぐは早い。どこがいいだろうか、雑誌を調べる。
当時は、車雑誌の全盛時代だ。このような情報も、車雑誌から情報を得ていたのだ。
Webで調べるなんてことは、まだまだ遠い未来の話である。
そして、なんだか、気になる店を見つけた。
埼玉県入間市にある、ガッタメラータという名前の店だ。
たまたま見た雑誌の写真で、店の前に115スパイダーがたくさん並べてあったのだ。
旧いアルファロメオの専門店。車に限らず、どこの世界も職人さん(=スペシャリスト)とは、気難しいものである。
ねこきんぐは以前、いきなり店に乗り込んで、怒られた経験があるからね。
(憂鬱の6_ハンドル交換もたいへんなのだ。を参照ください)
おそるおそる、電話をして修理してくれるかどうか、聞いてみる。今までこーいう店に行かなかったのも、なんだか専門店って言うだけで気難しくて、なんか、怖い感じがするじゃないですか。
電話に出てくれたのは、鈴木社長だった。
電話口であれやこれやと、つたない説明をするねこきんぐに、
「まあ、自走できるなら、こっちにもっておいでよ。見てあげるから」
と、気さくに店に招いてくれた。あ、なんだか怖くないかも。
早速、次の休みの日、ガッタメラータまで自走して持っていくことにする。
茨城県H市から埼玉県入間市までは、まあまあ、遠い。でも、道中の多くは、高速道路になる。クラッチの使う機会は少なくて済む。
念のため、クラッチフルードが抜けた時のための、予備補給液を大量に積んでいく。
今日のスパイダーは、素直に走る。
クラッチも、特段おかしくなることもなく、あっさりとガッタメラータに到着することができた。
無事、ガッタメラータにたどり着いたねこきんぐに、早速、鈴木社長が声をかけてくれた。
「(整備用の)リフトで上げてみるから、一緒に見てみようか」
車の下に回り込んだ鈴木社長から、こと細かく説明してもらった日のことは、今でも忘れない。
「ここがこうなっているから、こうなるんだよ」
「ここがこうだから、交換しないとね」
ねこきんぐは感じ入ってしまった。
こんな素人相手に、理路整然と判りやすく説明してくれる鈴木社長、すごいぞ。
ねこきんぐは、本で詰め込んだ115系の知識だけは、当時たくさんあったのだ。なので社長の話がある程度理解できてしまったのだ。
この人は、115系スパイダーにとても詳しい人だ、というのがすごく良くわかった。
確信した。
鈴木社長なら、このスパイダーを、なんとかしてくれるにちがいない。
それもそのはず、なのである。
この鈴木康平氏、実は、日本でも指折りのアルファロメオ整備のスペシャリストだったのだ。
その鈴木社長が立ち上げたスペシャルショップ、それがガッタメラータ、だったんですね。
当時、ねこきんぐは、そんな伝説級の人だったなんて、ぜんぜん知らなかったのです。
いきなりすごい人のところに、持ちこんじゃったんですね。
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ガッタメラータは、2006年9月に惜しまれつつ閉店してしまいました。
ねこきんぐのスパイダーは、ガッタメラータが閉店するまでの間、鈴木社長にずっとお世話になりました。
それでもこの115スパイダー、一筋縄ではいかないんですよ。
ねこきんぐの憂鬱は、まだまだ続きます。(次回はこちら)
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