憂鬱の1_ねこきんぐの憂鬱は、ここから始まった

ねこきんぐの憂鬱とは?

こんにちは。ねこきんぐ115 といいます。

ねこきんぐはアルファロメオ・スパイダーという、なんだか旧いイタ車を長い間、所有しています。

その車は、平成4年(1992年)に環八沿いのとあるモータースで、4年落ちの平行輸入車として購入しました。以来、今年で29年、車検を通し続けています。

購入した頃(1992年)からの数年間は、いろいろな故障を経験し、比較的ぼんやりしているねこきんぐでも憂鬱な期間でした。今考えてみると、よく手放さずに乗り続けていたなと思います。

当時、手のかかったこの車は、いまやすっかり楽しい車に変わりました。

(関連リンク:115系スパイダーは楽しい!

今回、ブログを立ち上げるに際し、ねこきんぐの体験記として、当時の憂鬱だったことを忘備録として書き散らかしていくことにしました。

手のかかる車を購入してしまった私、ねこきんぐの数年間にわたる憂鬱な日々の記録です。今と時代背景が違いますが、これから進んで「困った車」を手に入れようとする人へむけて、何かの参考(警告かもしれませんね)になればと考えています。

体験記なので、思い出しながら、つらつらと書かせて頂きます。何卒ご了承ください。

ねこきんぐの憂鬱はここから始まった

1992年の冬晴れの日、私こと、ねこきんぐ115は、環八沿いのとあるモータースにいた。次に買う車の下見のためだ。

当時、私が乗っていたのはZ32、フェアレディZだった。ちょうど湾岸ミッドナイトが流行っていて、ねこきんぐも、車に給料全振りしていた頃だ。

いつもカタチから入る私には、車の性能に腕がついていかないことに気付き始めていた。きっとこのままZに乗っていると、どっかに突っ込んで死んじゃうだろうな、なんていつも考えていた。いや、ほんと。運転下手なんです。

その頃だ。

Tipo(ティーポ)という車雑誌を手に取る機会を得たのは。本屋ではなく、たしかコンビニだったと思う。

この雑誌を眺めるうちに、なにか、自分の中で車趣味の方向性が変わった感じがした。

スピードのでるカッコイイ国産車よりも、海外製のちょっと小型のスポーツカー。

これが当時のねこきんぐにストライクだった、ということだ。

(当時の創刊間もないころのTipo)

早速、買い替えのリサーチに入る。

金額的にサラリーマンの手の届く範囲でないといけない。普通の会社員、それも会社の寮住まいの身分なので、当然、1台持ちとなる。茨城県なので、さらに当然、普段の足としての活躍を期待される。

ねこきんぐの車スキルを考えると、キャブ車よりインジェクションがいい。(キャブなんて調整したことないしね)

雨の日も普通に乗れて、街乗りができる大きさがいい。

そんなに車のメカに詳しくなくても、そこそこ旧車気分を味わえて、日常使いができそうなもの。

ということで目をつけたのが、アルファロメオ・スパイダーの115系シリーズだ。また、形からも個人的にはクラシカルなシリーズ3がいいな、と考えた。それに当時はシリーズ4が、まだ新車製造・販売されていたが、新車は500万ほどしたんですよ。

早速、茨城県から東京は世田谷まで、はるばる展示車を見に来たというわけである。

環八沿いのAモータースに話を戻そう。

このAモータースは、手広く並行輸入車を扱う、中古車屋である。当時は都内に何店舗かあり、ここ環八沿いの世田谷店では、ドイツ車、イタリア車を扱っていた。

屋内には黒いポルシェ911が1台、外には115系スパイダーのシリーズ3と4が1台ずつ展示されていた。お店の人に断って、スパイダーのドアを開けて乗り込んでみる。

狭い運転席に乗り込んだ瞬間、ねこきんぐは、ああ、これを求めていたのだとすぐに感じ入ってしまったのだ。そう、ねこきんぐにジャストミートというやつでした。

見学ツアーだったはずなのに、もう買う気満々になってしまった。

そこの店舗では、ほかにも何台か、115系スパイダーを販売していた。いまは展示はしていないが、輸入を待っている車体が北米にある、とのこと。

早速、写真を見せてもらう。

田舎のガレージで写した1台の青メタのスパイダー、そやつに目が離れなくなってしまった。走行距離は、1万マイルほどだったと思う。

ねこきんぐは行動が早かった。次の週にはすでに契約に来ていたのでした。

写真で車を見ただけで、はい、お買い上げ、です。

今考えると、コンディションも判らない平行輸入の中古外車を、勢いだけで購入してしまう暴挙にでました。よいこの皆さんは、決してマネをしてはいけませんよ。

憂鬱の2 船便で来るのを首を長くした待つのだ に続きます)

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